小堀秀行
福井県で生まれ、30歳で独立
こんにちは。兼六法律事務所(白山事務所)の所長、弁護士の小堀秀行です。
ここでは私の自己紹介と仕事に対する信念をお伝えしたいと思います。
私の生まれは福井県の三方町という田舎です。現在は隣の上中町と合併して若狭町という名前になっています。
昭和37年に米と梅を作る兼業農家の長男として生まれ、小さい頃から農業の手伝いをしながら成長しました。
小浜市にある若狭高校を卒業して、昭和55年に名古屋大学法学部に入りました。
大学は4年間で卒業しましたが、就職せずに司法試験の勉強をし、昭和60年に合格しました。
昭和61年に司法修習生として金沢地方裁判所に配属され、昭和63年に金沢弁護士会に登録をし、4年間、勤務弁護士として働いた後、独立しました。
ちょうど30歳のときです。
昭和37年 |
福井県で生まれる |
昭和59年 |
名古屋大学法学部卒業 |
昭和63年 |
弁護士登録 |
平成4年~ |
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平成7年・8年・13年度 |
金沢弁護士会副会長 |
平成15年~ |
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平成17年~22年 |
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平成17年~28年 |
中小企業基盤整備機構アドバイザー |
平成18年~ |
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平成19年 |
破産実務Q&A150問(共著)執筆 |
平成19年~21年 |
金沢大学法科大学院講師(倒産処理法) |
平成20年~ |
金沢簡易裁判所調停委員 |
平成21年度 |
金沢弁護士会副会長 |
平成22年 |
通常再生の実務Q&A120問(共著)執筆 |
平成24年 |
破産実務Q&A200問(共著)執筆 |
平成25年 |
「弁護士の過去・現在・未来」『自由と正義』掲載 |
平成25年~ |
全国倒産処理弁護士ネットワーク常務理事 |
平成26年 |
倒産法改正150の検討課題(共著)執筆 |
平成27年 |
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平成27年 |
注釈破産法(共著・編集委員)執筆 |
平成28年 |
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平成30年度 |
金沢弁護士会会長・日本弁護士連合会理事 |
令和元年 |
破産実務Q&A220問(共著)執筆 |
令和元年 |
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令和元年 |
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令和2年 |
独立後、ご相談者にお叱りを受け、気付かされたこと
最初は、裁判所近くのビルの2階を借り、弁護士一人、事務員二人で小堀法律事務所としてスタートしました。
あるとき、高齢の男性が杖をついて相談に来られました。話を聞くと、男性の相談内容はなかなか実現できない内容でしたので、「それはできません。裁判をしても無理です」と説明しました。しばらくやりとりをしていたのですが、突然、男性は立ち上がり、「もう結構です」と言って、事務所の2階の階段踊り場から1階に杖を放り投げ、階段に尻をつけて、ずり落ちるようにして帰って行かれました。おそらく腹を立てられ、一刻も早く立ち去りたいと思われたのでしょう。
私としてはまちがった説明をした訳ではないのですが、その方は満足されなかったのです。今でもその情景をハッキリと覚えています。
法律的には正しいことを言っていても、相手に受け取ってもらえなければ、意味がありません。
この体験をしてから、ご相談者は弁護士に何を求めて来られるのかということを考えるようになりました。
安心と納得を提供できる弁護士になりたい
弁護士に対して法的アドバイスや勝訴判決を求めているというのは表面的な見方です。ご相談者はトラブルに巻き込まれて、これからどうなるのかという不安で一杯です。
また、理不尽な要求をされたり、不当な処分を受けたりして腹を立てておられます。何とか未来の見通しを得て安心したい、「なるほど」と納得のいく解決をしてほしいと思っておられます。
つまり、ご相談者が求めておられるのは安心と納得なのです。お叱りを受けたことで、このことに気づくことができました。
しかし、残念ながら弁護士の多くはご相談者の真のニーズを知らず、そのニーズに応えようともしていません。「法律はどうなっているか説明してあげますよ」とか「裁判で勝てば良いのでしょ」という態度になっています。
加えて、「裁判にはお金がかかり、時間もかかり、その間、相手と言い争いをして嫌な思いをし続けなければならない」と思われています。
その結果、多くの方々が裁判や弁護士を嫌っています(少なくとも私はそう考えています)。
だからこそ、より速く、より円満な解決をめざし、ご相談者に安心と納得をお届けすることが私の目標です。もっとご相談者に身近な存在となり、いつでも気軽にどんなことでも相談できる弁護士を増やしたい。そして、無用な争いを減らし、笑顔あふれる社会を作ることが私の夢です。
企業に対しては、企業法務と付加価値の強化を
さらに、企業経営では、利益の確保だけでなく、従業員の満足や社会貢献を考えなければならなくなっています。
単なる法律の当てはめだけで、解が導かれるものではありません。そうすると企業法務は、法的知識に加え、企業理念、社会の動きなどに目配りする必要があります。その意味で弁護士は仕事に追い回されていてはなりません。仕事は速くやり遂げ、得られた時間で社会の動きや様々な分野の勉強をする必要があります。顧問先からの相談では、単なる法的なアドバイスにとどまらず、企業理念や社会的責任にも配慮するよう心がけています。
私は「日経産業新聞」を愛読していますが、最新の技術、サービスが紹介されており、読んでいてワクワクします。「おー、こんなすごいサービスが開始されるのか」や「よくこういうアイディアを思いつくなー」など、感心することがとても多いです。
最近のビジネスのキーワードとして「マッチング」があると思います。新たな設備投資をするのではなく、既存の資源を活用して、ニーズとサービスをマッチングさせるものです。民泊(ホテル)やアキッパ(駐車場)、ウーバー(タクシー)などが最先端でしょう。
しかし、この「マッチング」という観点で最も遅れているのが弁護士の業界です。
法的な紛争があり、その解決を求めている人は多いのに、弁護士に相談する人は少ないのです。弁護士に相談しないということは、法律以外の力関係で解決されたり、あるいは泣き寝入りを強いられていることになります。
これは、国民にとっても不幸なことであり、社会の成り立ちとして放置できない事態です。私は、古い業界体質を脱ぎ去り、弁護士に対するニーズに適切なサービスをマッチングさせることを、追及していきたいと思っています。
ご相談者一人ひとりと丁寧に向き合うために
事務所を独立開業してから7年後の平成11年に「兼六法律事務所」と改称し、平成17年に事務所を新築しました。完全に独立した相談室を6部屋設け、プライバシーに関わる内容も気兼ねなく相談できます。気兼ねなく相談できることで、ご相談者一人ひとりと丁寧に向き合っていくことができ、今までご紹介した私の信念を着実に実行できるのではないかと考えています。
さらに、平成23年から、弁護士法人となり、現在(2018年3月現在)、弁護士数は7名、事務局は10名です。北陸最大の規模で、様々な分野の悩み・不安・トラブルのご相談をお受けできるようになりました。
ご相談者一人ひとりと丁寧に向き合いつづけるために、そして、安心と納得を届けるために、これからも、私たちは成長し前に向かって進んでいこうと考えております。
個人ブログ「仕事術 アラカン弁護士 小堀秀行」を書いていますので,よろしければご覧下さい。
⇨個人ブログ「仕事術 アラカン弁護士 小堀秀行」
森岡真一
昭和52年生まれ、私が弁護士になった理由とは?
こんにちは。兼六法律事務所(金沢事務所)の所長、弁護士の森岡真一です。
ここでは私の自己紹介や、弁護士を目指した経緯についてお伝えしたいと思います。
昭和52年 |
大阪府大阪市で生まれる |
平成14年 |
大阪大学法学部卒業 |
平成15年 |
弁護士登録 |
平成24年 |
金沢弁護士会副会長 |
法律、裁判に関心を持ち始めたのは高校生のころ
法律や裁判に関心を強く持つようになったのは、高校生になった頃でした。裁判というのは、腕力が強いとか、声が大きいとか、口が達者とか、そういう人が勝つのではなく、法律と証拠に基づいて、公正に判断されるということを聞いて、非常に素晴らしいことだと思いました。
私が生まれ育った地域は治安が悪く、強い者が得をして、弱い者が辛い目にあうという現実を子どもの頃から特によく見てきたと思います。世の中は、なんと理不尽で、不公平なものなのかという思いを持っていました。
このため、自分にも、法律を学べば、弱者の立場にある人の手助けをすることも出来るのではないかと思うようになり、大学は法学部を選び、そして、弁護士になりました。
本当に弁護士になってよかったと思う瞬間
現実の世の中には理不尽なことがあふれています。弁護士になり、様々な相談を聞くようになって、その思いはより一層強くなりました。
例えば、私は交通事故の多く担当していますが、ご本人としては体が不自由になっているのに、「後遺障害はない」と判断されるということがあります。「後遺障害はない」と判断されるとほとんど損害賠償金を受け取ることが出来ません。生活費に行き詰まり、経済的に大変な状況に追い込まれます。
大変なのは経済的な問題だけではありません。交通事故に遭って、体が不自由になり、仕事も出来なくなっているのに、後遺障害が認められないのですから、この悔しさと苦しみは計り知れません。ご本人にとっては、自分が体が不自由だと訴えていることがウソだと言われたに等しいのです。
適正な賠償金を受け取れないだけでなく、ウソつき扱いをされることにより、精神的にも追い詰められてしまいます。
そのような相談があった場合、まずは詳しく相談される方のお話しを聞きます。そして、どうして後遺障害が認められなかったのか、どうすれば後遺障害が認められるかについて、MRI、レントゲン、各種検査データ、カルテ等の資料を検討し、文献を調査して、後遺障害が認められる方法はないかと検討します。
そして、ご本人が述べておられるような後遺障害があると裁判等で主張するなどして、ご依頼の意向に沿った解決を目指して全力を尽くします。こうして、無事に、裁判等でこちらの主張が認められた時のご相談者の喜びの言葉をもらった時のうれしさは格別で、本当に弁護士になって良かったと思います。
しかし、理不尽なこともある。それが「法律」
しかしながら、常に、全ての相談でうまくいくわけではありません。残念ながら、証拠がなくて、どうしようもないということもあります。法制度自体に問題があり、どうすることもできないこともあります。法律や裁判は不完全なものであり、世の中の全ての理不尽を解決することが出来るものではありません。
困っている相談者を目の前にして、相談者の意向に沿った解決が出来ないということを伝えることはとても辛いものです。それでも、相談者の意向の全てが実現されないとしても、少しでも、相談者の意向に沿った解決はないかを探り、その方法を模索するようにしたいと思っています。
解決に向けてステップを進めていくのが弁護士の仕事、私の使命
どうしても、法律上、または、証拠上、相談者の意向が実現できない場合には、どうして出来ないのかについて、特に、わかりやすく、丁寧に説明するように心がけています。どれだけ理不尽であったとしても、「出来ないことは出来ない」という現実があります。「出来ない」という現実を踏まえて、出来ることは何かを考えて次のステップに進むためには、出来ないことを十分に納得して頂く必要があると思うからです。
出来ないことを実現しようとして拘り続けることは不幸なことであり、諦めるべきことは諦めて、実現できることに向かって、次のステップに踏み出すための手助けをすることも大切な弁護士の仕事だと思っています。
私の使命を遂行するためには、最新の知識を身につけることが重要
ここで、大事だと思っていることは、本当は出来ることなのに、「出来ません」と誤って伝えてしまうようなことはあってはならないということです。正しい判断とアドバイスをするためには、常に、最新の知識を身に付けるよう勉強しなければなりません。金沢弁護士会では定期的に研修が行われていますが、私は最も研修に参加している弁護士であるという自負があります。
また、相談者の話に丁寧に耳を傾け、丁寧に時間をかけて地道に資料を詳細に検討するようにしなければならないと思っています。それでこそ、正しい判断とアドバイスをすることができると思います。
私に出会うことで「確実に良い方向に進める」ようにしたい
私の力は微力であり、相談された方のあらゆる要求の全てを常に満たすということもできませんが、私に相談してくれた人の願いが最大限に実現できるよう、そして、私に出会う前よりも、確実によい方向に向かって進んでいけるように力を尽くしたいと思っています。
二木克明
昭和35年、長野県生まれ
こんにちは。兼六法律事務所(金沢事務所)の副所長、弁護士の二木克明です。
ここでは私の自己紹介と私が力を入れている分野についてお伝えしたいと思います。
昭和35年 |
長野県で生まれる |
昭和59年 |
早稲田大学第1文学部卒業 |
平成元年 |
検事任官 |
平成7年 |
弁護士登録 |
平成12年 |
社会保険労務士登録 |
平成14年度 |
金沢弁護士会副会長 |
平成15年4月~25年3月 |
石川労働局紛争調整委員 |
平成17年4月~27年3月 |
石川県地方最低賃金審議会公益委員 |
平成17年 |
「子どもの心」執筆 |
平成24年〜 |
金沢簡易裁判所調停委員 |
私が特に力を入れている分野
子どもの健全育成に関わる事件
私は、子どもの笑顔が大好きです。
少年非行の背景には、虐待等、子ども達にとって、かわいそうな事情があるケースがほとんどです。非行の背景事情を調査し、問題点を取り除き、再犯防止に向け、全力で取り組んでいます。
いい形で解決した時の、子供達の笑顔を励みとして頑張っています。そのため、少年その他、ご相談者の声には真摯に耳を傾けるとともに、たゆまぬ研鑽に努め、適切な解決を目指します。
犯罪被害者の支援
私の両親は、曲がったことが大嫌いでした。
そんな両親に育てられ、「社会正義」はどこにあるかを常に考えて来ました。
理不尽な犯罪被害に遭った人は守られなければなりません。法令を総動員して、被害者保護に力を尽くしております。
被害者の声に真摯に耳を傾け、個別の適切な解決に努めます。
離婚や相続など、家族間の事件
私は、相手が理不尽な場合などは徹底して戦います。
中には、相手と仲直りしたくて依頼に来る事件もあります。そんな場合は、修復に向けて調整します。実際、世の中には、お互いのコミュニケーション不足で、不信感が増幅し、破綻に至ることがあります。
そんな場合、調停や裁判で、遠慮のない意見を言い合うことで、相互の誤解が解け、円満解決する例があります。
私の調整によって、夫婦がよりを戻した事件は何件もあります。
関係者(家族の方、特にお子さんがいらっしゃる場合など)の皆さんが、笑顔になれる解決は格別の喜びです。そのために、ご相談者の話に真摯に耳を傾け、問題の所在を的確に把握し、個別の適切な解決を目指します。
労働事件
私は、「人」と関わることが好きなので、人事労務関係のプロになりたい思い、労働関係の勉強に力を入れています。社会保険労務士にも登録しました。
労働事件の相手が理不尽な場合は徹底して戦います。
最終的には、ある程度妥協して解決することもあります。早く解決する方が長引くよりメリットが大きいことがあるからです。
また、経営者やよくできる社員から見ると、労働基準法や労働契約法は、一般の労働者に甘すぎるように見えることがあります。しかし、労働の対価は、その労働者本人や家族の生活を支えるものであり、能力が低い労働者でも、真面目にやっている人は保護します、というのが労働法の考え方です。
ご相談者の声には真摯に耳を傾け、法令や判例に照らし、適切な解決を目指します。
知財事件(特許件、実用新案、著作権、不正競争防止法など)
特許事件や不正競争防止法違反等の裁判を何件か担当しました。
その関係で、弁護士知財ネット(http://www.iplaw-net.com/)の理事に任命されました。弊所では、知財担当をしております。トラブルに巻き込まれた企業の方の手助けがしたいです。そして、北陸ナンバーワンの知財弁護士に向け、日々の研鑽に努めます。
浮田美穂
昭和51年生まれ、夫婦問題・成年後見・債務整理などを主に担当
こんにちは。兼六法律事務所(金沢事務所)の副所長、弁護士の浮田美穂です。
ここでは私の自己紹介や、弁護士を目指した経緯、そして将来の夢についてお伝えしたいと思います。
昭和51年 |
大阪府大阪市で生まれる |
平成13年 |
大阪大学法学部卒業 |
平成14年 |
弁護士登録 |
平成22年度 |
金沢弁護士会副会長 |
平成22年~ |
金沢弁護士会住宅紛争審査会紛争処理委員 |
平成23年~ |
石川県公害審査会委員 |
平成24年~ |
石川県消費者苦情審査会委員 |
平成25年 |
「ママ弁護士の子どもを守る相談室」執筆 |
よく尋ねられます。「なぜ弁護士になったのか?」
よく、なぜ弁護士になったのですか、いつから弁護士になろうと思っていたのですかと尋ねられます。
私は、もともとは弁護士になろうと思っておらず、検察官になりたいと思っていました。中学生のころ、テレビドラマで検察官という職業を知り、正義の味方のようで格好いいと思っていたからです。本気でかっこいい!っと思っていましたので、一生懸命、司法試験の勉強をしました。
司法試験の勉強はとても大変でした。大学は法学部に入ったのですが、最初は授業についていけず、あまり理解できませんでした。このままではダメだと考え、大学4年の途中から休学して司法試験の受験勉強に集中し、3回目の司法試験で合格できました。
この段階では、まだ検察官になることを目標にしていました。
司法試験合格後、検察官の権力の強さにびっくり!
司法試験に合格した後は司法修習生として、裁判所、検察庁、弁護士事務所で研修を受けました。その研修の際に、「検察官は被疑者・被告人に対し、絶大な権力を持っている」ことに驚き、そして、権力を握るのは大変恐ろしいことだと感じ、検察官になるのをやめ、弁護士になる決断をしました。
子供を殺された親御さんにお会いする
弁護士になり、ご相談者から「解決できてよかった」と言われた時には弁護士になって本当によかったとやりがいを感じています。私は、弁護士になる前に、子どもさんを殺された親御さんが、「少しでも子どものかたき討ちをしたい」ということで弁護士に依頼された方にお会いしたことがあります。
その方の苦しみは果てしなく、言葉では言い表すことができないものでした。その方にお会いし、こういう方の苦しみを少しでも癒すことができれば、弁護士としてどんなによいだろうかと心底思いました。
弁護士に依頼される方は、それぞれに苦しみのどん底にいることが多いです。だからこそ、私は、それらが解決に至る過程で悩み・苦しみが減っていき、心が軽くなっていって、前向きに頑張ろうと思ってもらえる弁護士を目指したいです。
そのために、ご相談者の悩みをよく聞き、支えとなり、可能な手段を提案・実現していきたいと思います。
森長 大貴
昭和62年、福井県生まれ。
私が弁護士になった理由とは?
こんにちは。兼六法律事務所の弁護士の森長大貴です。
ここでは私の自己紹介と、なぜ弁護士になったのか、どんな弁護士でありたいかについて、お伝えしたいと思います。
昭和62年 |
福井県で生まれる |
平成23年 |
早稲田大学第一文学部卒業 |
平成27年 |
神戸大学法科大学院卒業 |
平成28年 |
弁護士登録 |
心理学を勉強したのち、法律の道へ。
福井県の福井市に生れました。県庁所在地とはいえ、大きなショッピングセンターが経営不振でなくなり、私営の鉄道が維持できずに行政の出資に頼るなど、子どもの頃から地方の過疎化を目の当たりにしてきました。大学進学を機に福井を出ることになり、早稲田大学第一文学部に入学して、心理学を専門に学びました。
将来は勉強している心理学で生計を立てられたら、と思ってはいたものの、カウンセラーや臨床心理士は広く利用されているとはいえず、仕事として選択するのは難しい現実を知り、悩みました。
そんな折、友人が進学したのをきっかけに、法科大学院制度を知りました。まったく法律を勉強したことがなくても、法科大学院に入れば司法試験を突破できるかもしれない。仕事をするなら、自分の力で人の支えになれることをやりたいと思っていた私は、法律家になることを決意して、神戸大学法科大学院に入りました。
法律の素人の私が思い描いていた見通しは甘く、法科大学院ではついていくのがやっとでした。友人や教授方に助けられてなんとか卒業し、その年の司法試験に合格することができたのです。
当事者から距離を取る裁判官よりも、依頼者に寄り添う弁護士になりたい。
司法試験合格後は、司法修習生として研修を受けます。漠然と裁判官か弁護士になろうかと考えつつ、すべての研修を受けました。
研修を受けてみてわかったことは、裁判官は判断を下すために、当事者から距離をとらねばならない職業だということでした。どちらに関わりすぎても、人情から適切な判断を下すことができなくなるかもしれないためです。
それに対し、弁護士の活動は依頼者とともにするものでした。依頼者の意思を聴き、希望を最大限実現するために動く姿を見て、私も人を支える弁護士になろうと決断しました。そして地方出身の私が弁護士をするなら、人のあふれる都会よりも、地方に貢献したい。そう考えて、兼六法律事務所に入所いたしました。
弁護士である前に1人の人間として、依頼者に寄り添える弁護士になる。
事件に関わるにつれて、弁護士の考えと依頼者の考えが実はかみ合っていないことがあると気付きました。依頼者は他の方法を知らないから訴訟を依頼し、弁護士は依頼されたとおり訴訟に臨む、ということでは、本当に依頼者にとって最善の解決といえるのかは疑問です。依頼者が本当にかなえたいことを、弁護士が全力でサポートして実現してこそ、事件が解決したといえると私は考えています。
だからこそ、相談に来られた方がかなえたい希望はどこにあるのか、弁護士である前に1人の人間として、その人の心に寄り添ってともに考えることを心がけております。そして、法律的な手段に限らず、その実現のために考えられるあらゆる方法を模索し、お悩みの解決をともに目指します。
現実には希望の実現がかなわないこともありますが、それでも、まじめに苦労する人が正しく報われるよう、微力ながら少しでもお役に立ちたいと思っております。何かありましたら、1人で悩まずに、お気軽にお声かけください。
臼井 元規
平成2年生まれ。私が弁護士になった理由とは?
こんにちは。兼六法律事務所の弁護士の臼井元規です。
ここでは私の自己紹介や弁護士になろうと思った経緯、目指す弁護士像などにについてお伝えしたいと思います。
平成2年 |
愛知県で生まれる |
平成25年 |
名古屋大学法学部卒業 |
平成27年 |
弁護士登録 |
趣味 |
読書・スポーツ観戦 |
テレビ番組をきっかけに、弁護士に憧れる。
私が最初に弁護士という職業に興味をもったのは、中学生の頃でした。私が中学生だった当時、法律問題を扱うバラエティー番組や、弁護士を主人公としたテレビドラマが流行っていました。テレビ番組に出演している弁護士やドラマの主人公の弁護士を見て、私は「弁護士って格好いいな」と思いました。
法律関係のトラブルに巻き込まれた人に対して、数ある法律の中から解決に必要な法律を判断し、豊富な知識を駆使して問題を解決していく、テレビに映る弁護士の姿に、強い憧れを抱きました。元々、困っている人の役に立つ仕事がしたいと思っていたので、困っている人を助けることができる弁護士に、強く惹かれたのです。
また、法律を知らないというのは怖いことだなと思いました。法律を知らないことによってトラブルになったり、損をしたりする事例が、 テレビ番組でたくさん取り上げられていたからです。この頃から、社会に出る前に法律を勉強しようと思うようになりました。
大学で法律の面白さを知り、弁護士を目指す。
中学時代に弁護士と法律に興味を持ったことから、大学では法学部に入ることにしました。もっとも、大学に入った当初は、弁護士になろうとは思っていませんでした。確かに弁護士は格好いいけれど、難しい試験に合格しなければならない、自分にはとても無理だと思っていたのです。当時は、安定した公務員になろうかと考えていました。
大学での法律の勉強はとても楽しく、法律は面白いなと改めて感じました。また、論理的に一つ一つ筋道立てて考えて結論を導いていくという、法的な思考も私に合っていると思いました。法律の勉強を続けるにつれて、将来も法律に関わる仕事がしたいと思うようになり、中学生のころ憧れた弁護士になりたいという気持ちが強くなっていきました。
大学3年生になり、進路を決めなければならない時期を迎えました。弁護士になりたいという気持ちは強かったものの、司法試験に合格できるのかという不安もあり、公務員を目指すか弁護士を目指すか、かなり悩みました。最終的には、ここで諦めて後悔したくないと思い、憧れの弁護士を目指そうと決心し、法科大学院に進学することにしました。
苦労の末、司法試験に合格。
法科大学院に入学した当初は、授業についていくのがやっとの状態でした。学部生の時から私なりに勉強してきたつもりでしたが、クラスメートは私よりも勉強していて、法律を深く理解している人ばかりでした。これではいけないと思い、私は必死に勉強しました。
毎日の授業の予習・復習に加え、毎回のように与えられる課題をこなし、さらに同時並行で司法試験に向けた自主勉強もしていました。勉強がハードであったため、体調を崩して寝込んだこともありました。
かなり苦労しましたが、教授の指導や家族・友人の支えもあり、何とか司法試験に合格することができました。
ご相談者に寄り添う弁護士になりたい。
私は、ご相談者に寄り添い、ご相談者と一緒に問題を解決していく弁護士になりたいと思っています。ご相談者のお声に耳を傾け、ご相談者が解決したいと願われている問題を的確に把握して、その問題の解決に全力を尽くします。また、ご相談者の抱えられる問題を解決するためには、幅広い知識と洗練された技術を身に付ける必要があります。これからも日々研鑚を重ね、新たな知識を習得し、技術を磨いていきたいと思います。
太田圭一
昭和56年、滋賀県生まれ。
私が弁護士になった理由とは?
こんにちは。兼六法律事務所の弁護士の太田圭一です。
ここでは私の自己紹介と、弁護士を志したきっかけと、目指す弁護士像について、お伝えしたいと思います。
昭和56年 |
滋賀県で生まれる |
平成16年 |
大阪市立大学法学部卒業 |
平成19年 |
司法試験合格 |
平成21年 |
弁護士登録 |
平成21年~令和2年 |
日本司法支援センター(法テラス)のスタッフ弁護士として勤務 |
弁護士を目指したきっかけ
法学部に進学したため、なんとなく司法試験を受けようと思いました。恥ずかしながら、確固たる志や理想を抱いていたわけではありませんが、せっかくなら最難関と言われる司法試験に挑戦してみようかなと思って、受験勉強を始めました。
しかしながら、司法試験合格のハードルは高く、大学卒業後は、コンビニエンスストアの早朝アルバイトや学習塾の講師をしながら、受験勉強を続けましたが、簡単に合格という結果は出ませんでした。
それでも、ようやく、平成19年、司法試験に合格することができました。
司法試験合格後は、司法修習生として、裁判官、検察官、弁護士の職務について勉強するのですが、指導担当だった弁護士の影響で、弁護士になることに決めました。
指導担当の弁護士は、プロ意識が高く、とても厳しい人でした。ですが、相談者や依頼者には親身になり、とても丁寧に話を聞いていました。そして、相談者や依頼者にとって、最善の利益は何かを判断して、助言していました。その姿を見て、こうありたいと思いました。
その後、法テラスのスタッフ弁護士になりました。法テラスは、司法過疎地(弁護士が1人もいない地域、あるいは1人しかいない地域)に、法律事務所を作り、司法過疎をなくす活動をしていました。私の出身地も司法過疎地域であったこともあり、弁護士がいない地域で、少しでも困っている人の役に立ちたいと思ったからです。
法テラスのスタッフ弁護士として取り組んできたこと
弁護士になり、まず福岡市の法律事務所で、1年間の勤務した後、念願かなって司法過疎地である長崎県対馬市に赴任することができました。
対馬での3年6ヶ月は、弁護士になりたてだったこともあり、苦労したことも多くありましたが、様々な事件を経験することができ、とても充実していました。対馬市には2人しかいない弁護士の1人として、まだ弁護士としての経験が浅い時期ではありましたが、地域の方々のお役に立てるように、一つ一つの事件に向き合ってきました。その時の経験が、今でも、弁護士としての自分の基礎になっているのだと思います。
対馬の次は、長野県松本市で約3年、宮崎県宮崎市にある法テラスの法律事務所で約3年働きました。
いずれの事務所でも、いわゆる「司法ソーシャルワーク」に取り組んで来ました。
この「司法ソーシャルワーク」というものの定義は、曖昧なところがありますが、そのなかに、「アウトリーチ」という手法があります。
「アウトリーチ」とは、支援者が、支援を求める人の所へ出向いていくということです。支援を求めている人が声を上げるのを待ち、その人が支援者のところに来るのを待つのではなく、こちらから手を差し伸べるということです。弁護士は、敷居が高くとっつきにくいと思われているので、そうならないように、困っている人のところへ積極的に出向くようにしていました。病院や老人ホーム、相談者のご自宅に出向いて、ご相談を受けることもしてきました。
また、支援者同士の連携も大切だと学びました。弁護士ができることは、依頼者の借金をなくす、損害賠償の請求をする、成年後見人になるなどです。これらは、依頼者にとって必要な支援ではありますが、依頼者に対する支援の一部に過ぎず、それだけでは十分とはいえないでしょう。
そこで、福祉関係者や行政と協力し、連携し合って、多方面からの支援が可能となり、依頼者が、その人らしく豊かな人生を送れるように努めて参りました。
目指す弁護士像
弁護士として10年を機に、新たな分野へ挑戦するため、法テラススタッフを退職して兼六法律事務所に入所しました。
法律事務所に来るのは、悩みを抱えた方ばかりです。楽しくて仕方がないから弁護士事務所に来るという人はいません。悩みながら法律事務所を訪れる方の、悩み苦しみに共感し、その思いを受け止められるような優しい弁護士でありたいと思います。
また、依頼者にとって、最大の利益は何か、どうすれば依頼者の安心や満足に応えることができるか、そのためには的確な判断ができなければなりません。目指す弁護士像に近づけるよう、日々精進して参ります。